続き5
それから約半年の学校通いを経てほぼ地元近くの電気工事の会社で働かせて頂くことになりました。
結果的にいうと3ヶ月もせずに辞めてしまったんですが…
まずはやはり時間が不規則だということ。
そこの会社は百貨店の工事がメインだったということもあり、夜から働くことがたたあったんですね。
百貨店近くの駐車場で工事開始までけっこう待ってた記憶があります。
あとは人間関係ですかね。
髪色がヤンチャしてる年下の先輩や叩き上げの男たちがいるなかで、俺はいつも緊張感でいっぱいの毎日を過ごしていました。
それは仕事中はめちゃめちゃ怒られるし(俺ができないのが悪いんですが笑)、それ以外の時間でも一番下っ端ということもありいろいろと気を遣うこともあり(あたりまえっちゃあたりまえ)、めちゃめちゃ疲弊していったんですね。
そんで、「あっ、俺このままこの毎日の繰り返しで福岡しか知らず死んでいくんかな」って思ってしまい、めちゃめちゃゾッとしたんですね。
どうせ死んでいくんならもうちょっと他の土地の空気を吸ってから死んでいきたいなと。
そんで社長と話し合って辞めてさせて頂きました。
お前甘いよという声が四方八方から聞こえてくるのは必死です(笑)
でもこういう世界もあるんだと肌で感じることができたのは、今思えば良かったと思います。
続き4
この頃からかもしれません、自分という人間を俯瞰的に見つめるようになったのは。
やはりアラサーでバイトって普通にやばいやろ思っちゃったんですね(笑)
とりあえず社員として働かなければいう気持ちになったんです、この時は。
心の奥底では動かなきゃという気持ちはあったんですけど、なかなか難しいもんで行動に移すのはエネルギーがいるんですね。
でもとりあえずちゃんとした仕事を探そうと思い、何かこう技術をつけて手に職をつけねばと悪い頭なりに考えだしたんですね。
なのでハローワークに通いだして、いろいろ相談員さんと話すうちに電気関係の仕事に少し興味をもったんで、とある学校に半年だけ通うことになりました。
朝早くに起きて夕方ぐらいに帰ってきて、そこからバイトがあれば24時近くまで働くという日々が半年ほど続きました。
その学校ではいろんな人たちとの出会いがありました。
同世代はもちろん、20歳そこそこのやんちゃな兄ちゃん、かたや定年退職した60歳近くの方もいました。
すんごいしんどいと感じることもあったけど今思えば行ってよかったなとは思います。
おかげで頭を丸めるキッカケも作れたし、大人の遊び?も覚えることができたのでこの時間は貴重なものだったと今ではすごく感じます。
続き3
そんなこんなでいつも通り働く日々を送っていたら、20代前半のアルバイトの女の子が新しく入ってきた。
あっ、かわいい子が入ってきたなとは思ったが、最初の印象はただそれだけだが…
仕事中もすごいテキパキ動くし、バンギャということも判明し、また向こうからコミュニケーションもとってきてくれてたのでついつい心奪われましたね、完全に非モテコミット発動してしまいました。
そんである時思い切ってご飯に誘ってみたんですが、最初は何か飲み会的なものに誘われたと勘違いしたらくOKだったんですが、2人でということが判明すると結局話がなくなりました。
まぁ後から冷静に考えたらいきなり2人でご飯行くだなんてあなたのこと好きですと言ってるようなもんですからね。
完全に1人の世界で物事考えてしまってました、失敗です。
そこから色々と徐々に距離をとられてるなと感じることが多くなり、どっかのタイミングで控室で2人になりそうな時にそそくさと帰られたときには、あぁ完全に避けられてるんだなとすごくせつなくなったのを憶えています。
今思うと、おそらく向こうは歳も離れてるし別に話してても特に恋愛には発展しない安全なおじさんぐらいの感覚で接していたと思います。
続き2
結局ダラダラと3~4年近く働いたのかな。
特にやりたいことも見つからず…というか見つけようともしてなかったのかもしれない。
職場の環境はいい人たちばっかだったが、特にプライベートで遊ぶというようなことはほとんどなく、控室で話すぐらいだった。
これは今の俺にも言える課題というかなんなのか、どうも職場の人たちと距離を置いてしまうようにこっちから振る舞ってしまう。
結構俺は仕事を覚えるのに人より時間がかかってしまうほうと思っており、なんかこう引け目を感じて仲良くなるのを避けるようにしてしまう。
こんなんだから特に人生を楽しいとも思えず、過去に楽しかった思い出なんかもないしょーもない人生を送っているのだろう。
でもアラサーからの社会人デビューって正直きついっす(笑)
社会人デビューってもバイトだが…
色んな年齢の人たちと出会って、自分の感情や現在の人としての度量といいますか今の立ち位置を考えることができたのは、今思えばよかったのではないかとポジティブに考えております。
正直、20代半ばでしっかりした子やアラツーの若い子が、職場の同世代の女の子と付き合っているのを見るとめちゃくちゃ嫉妬もしたし羨ましかった。
アラサーでしかもつい最近社会人デビューした甘ちゃんで毛量の少ない俺は、何一つ彼らには勝てない。
そんな俺でも恋はしてしまうのだが…
続き
無気力ハゲ野郎の俺は普段の仕事の8割を放棄し、しばらくは家にほぼほぼ引きこもってたように思う。
今思えばあの時は親が特におかんが一番苦しかったんじゃないかなと思う。
そこまで忙しくない時期とはいえ俺が仕事を放棄した分をおかんがやっていたわけだから…
どのぐらい引きこもっていたかははっきりとは憶えてないが、もう頑張りたくないなって思った。
この時は人生の一生分の気力をつかったから、もうこれから先頑張れることはないだろうと思った。
そんな日々を過ごすうちにだらだら家にいるのも飽きてきていた。
お金もないし夕方ぐらいからなにかバイトでもしようかなという気持ちが芽生えはじめていた。
実家以外で働いたことがない俺は求人誌でよさげなバイトを見つけては、なかなか行動に移せない日々が続く。
そこで短時間で働けそうなバイトをみつけて、思い切って電話をかけてみる。
ある意味ここで一人の人間が社会との接点をもったスタートだったように思う。
希望した時間帯で働けそうではなかったが、とりあえず働くことに決めた。
働き始めた当初はぶっちゃけどんな感じだったか忘れたが、ひとつ記憶にあるのはイラッとしたのを見透かされ「怒ってんの?」と言われたのは憶えてる(笑)
ご挨拶
初めまして、ハゲメンです。
この度、ハゲメンがブログに挑戦する運びとなりました。
どうか温かい目で見てもらえると幸いです。
いや~まさかここまでハゲるとは子供の頃は思いもしませんでした(笑)
親父がハゲてたんでそりゃいつかはハゲるだろうとは思ってましたが、まさか20代後半でハゲ始めるとは思いもよりませんでした。
振り返ってみると遺伝もハゲの原因の一つではあるんですが、おそらく主な原因はストレスだったと思います。
当時は家業の仕事を手伝っており自分の給料もまともに貰えない、ましてや貰えない時も多々ありました。
かといって自分ではどうしたらよいのか分からず、日々を生きていくのにやっとみたいな感じでした。
ある時急に何にも考えられなくなってしまったんですよね、ほんと力が入らないというか。
おそらくこの辺りできたんだと思います、ハゲのビッグウェーブが(笑)
私の記憶では1日で軽くM字ハゲになった感覚があります。
そこから徐々にハゲが進行し、ハゲを隠していく日々が何年か続いていくのですが…
いまでこそ多少は前向きに物事を考えられるようにはなったのですが、この頃はもうどうでもいいやって思ってました。
ハゲたからといって今の環境が変わるわけでもなく続いていくわけで…
ほんとあの頃の私はただの無気力ハゲ野郎でした。